温泉と健康法

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お風呂の歴史<ヨーロッパ圏>

紀元前4世紀頃の、ギリシアの都市に公衆浴場が存在した。

ローマ帝国時代には、各植民都市に共同浴場が作られた。

入浴様式は、蒸し風呂の他に、広い浴槽に身体を浸かる形式もあったようだ。

217年につくられたローマのカラカラ大浴場は、2000人以上が同時に入浴できたといわれている。

古代ローマの入浴は、官営病院を持たなかったローマ人の感染予防施設としても使われた。

ローマの共同浴場は、時代の流れとともに、大衆化し社交場・娯楽施設としての意味が増してきた。一方で、売春や飲酒蔓延、怠惰の温床にもなったといわれる。

次第にキリスト教の厳格な信者からは、ローマ式の入浴スタイルは退廃的であるとされ、敬遠されるようになった。

その後、中世に十字軍によって再び東方から入浴の慣習が伝わったものの、今度は教会が入浴の行為は異教徒的として非難した為に、その後は入浴の習慣は無くなっていった。また共同浴場は、梅毒やペストなどの伝染病の温床というイメージも入浴を衰退させる原因になったと言われている。結果、キリスト教徒の間では、入浴は享楽の象徴とされ忌み嫌われ、シャワーが主流になっていった。

中世ヨーロッパ(特にフランス)では、風呂に入ると皮膚の常在細菌が洗い流されて逆に病気になる、と信じられてきた。

ヴェルサイユ宮殿のバスタブは、建設された当初は使われていたものの、その後はマリー・アントワネットが嫁ぐまで使われなかった、と言われる。

王侯貴族は入浴の代わりに頻繁にシャツを着替え、香水で体臭をごまかすようになった。

これがパリなどのフランスの大都市部の公衆衛生の悪化の原因の一つとなり、フランス人は現在でも入浴はおろかシャワーを浴びることが少ない、とされる。

しかし、1875年にイギリスで、「公衆衛生法」ができ、入浴が奨励されるようになった。

徐々にバスタブによる入浴が行われるようになった。

さらに19世紀、イギリスでシャワーが発明される。以後、シャワーによる入浴が世界に広まった。